〈小林健司より案内文のようなはじまりの言葉〉
【とじる】
[閉じる]しまる。終わりになる。
[綴じる]離れているものを一つまとめる。
昨年の9月。父方のおばさんが亡くなりました。
愛知の和合という土地に住んでいるので、ぼくは小さい頃から「わごうのおばちゃん」と呼んでいました。
「わごうのおじちゃん」は、いわゆる認知症という診断がくだされる状態で、二人の間に子どもはおらず、二人が40年住んできた家はもうすぐ別の誰かに売られることになります。
おじちゃんとおばちゃんの家。正月には親戚が集まっておせちを食べたりした平屋の、手入れがいきとどいていた庭が今は少し荒れかけてきている家。
「無くなってほしくないな。」
「次の持ち主はやっぱり建て直すんだろうか。」
そういう気持ちを持ちながら、こんなときいつもそうだったように、体の一部が無くなっていくような寂しい気持ちや、じぶんにはどうすることもできない無力感を感じるだけでいました。
でも、今回の旅のきっかけをくれたきよさんの話を聞いて、少しずつ役目を終えて形を失っていってしまうものに対する、ぼくなりの関わりがあるんじゃないか、そう思えるようになってきました。
鹿児島にある旦那さんの実家を手放すにあたって、「丁寧に閉じるようななにか」がしたい、というきよさんの言葉を聞いたとき、瞬間にぼくの中には「わごうのおじちゃんとおばちゃんの家」が浮かんでいました。
できるだけ手放さないようにとか、壊されないようにとか、高い値がつくようにとか、そういう終わり方じゃなくて、もし親族やご縁のあった人が集まって、それぞれの人と結びついた思い出や気持ちや今思っている言葉を分かち合い、それぞれの心に綴じて、安らかに家がその役目を閉じられるような機会を作れたとしたら・・・。
それはもう、一つの終焉というだけじゃなく、そこにいる人たちのなかでもう一度、その場所やそこにいた人が生き生きと生まれ直す始まりでもあるんじゃないか。
そういう、一つの価値だけで測れないような集いなら、これまでもやってきたし、できる気がする。
きっと、和合の家でそんな集いを開くことになるのですが、それはまた別のおはなし。
今回は滋賀から、ゆくくるの4人が一つの車に乗って、終着点鹿児島での「丁寧にとじるようななにか」を目指して旅路をいきます。
経路は、滋賀を出発して、岡山、広島、山口、長崎を経て、鹿児島という予定。それぞれの土地で、ご縁のある方と丁寧に閉じたり綴じたりするような場を作れたらと思っています。
小林健司
※きよさん
千葉県松戸に住む谷口起代さんは、4人の共通の知り合い。20代をカナダで過ごしたり、社会福祉の仕事をしていたことがあったり、立教大学の大学院で論文を書いたり、バート・へリンガーさんという心理療法家の書いた本を翻訳したことがあったり、東日本大震災のあとに現地で復興に関わる活動をしていたりする。
すごく丁寧に丁寧に話をしようとしてくれると思ったら、小さい女の子みたいに笑ったり、不思議な雰囲気を持っている女性。
鹿児島にある旦那さんの実家があって、なにか「丁寧にとじる」ようなことを形にしていけないかという話を4人に持ちかけてくれた。
<ゆくくる2017 西日本とじるツアー>
期間 下見という名の前編:2017年3月11日~3月17日
本編という名の後編:2017年4月24日~5月06日
場所
●3月11~13日 鹿児島 きよさんの旦那さんの実家を訪ねて
●3月13~16日 長崎 けんちきかおるこを訪ねて
●4月24~26日 岡山 太郎ちゃんを訪ねて
●4月26~28日 広島 ぺけとちえみちゃんを訪ねて
●4月28~5月2日 山口 しゃちゅーとあっこちゃんを訪ねて
●5月02~5月6日 鹿児島 きよさんと共に旦那さんの実家を訪ねて
主催 「ゆくくる」(小林健司、小林直子、中尾聡志、中尾絢子)