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2015年5月の「ゆくくる@東京」での出来事を小林健司が小説風に書いた文章です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぼくの東京物語」

 

 

一 深夜バス

 

2015年5月。

 

結婚して丁度一年が経つこの月に、ぼくたちは夫婦で東京に行くことになった。ガラガラと音が鳴るケースを引きずりながら深夜バスの停留所に着くと、本当に夜の11時なのかと疑うほどたくさんの人がいる。

 

100人以上いる人たちのほとんどは大学生くらいに見えたけれど、中にはサラリーマン風の男性や、40代くらいの人も混ざっていて、日本の都市部というよりは学生時代に何度か行ったベトナムとかインドの雑多な空気の方に近い。

 

「もしこの人たちがお互いの話を聞き合って、一緒に何かをすることになったらすごいパワーだろうな」などという妄想をしながらバスの発車を待っていると、ふと「30を過ぎた夫婦が大学生と同じ高速バスなんてちょっとみじめかな」という考えが頭をかすめる。

 

何年か前の自分ならそう思っていた気がするし、そのように見る人もいる気はするけれど、そのときのぼくとなっちゃんには、みじめな気持ちは欠片も無かった。

 

一応東京に行ったら、いくつかの仕事を入れているけれど、人が来て参加費が発生したら収入になるような仕事だから、当てにできる収入はほとんどない状況で、むしろ、自分たちの身の丈にあった金額で身体を運んでくれる移動手段があることがありがたかった。

 

なにより不思議なご縁で東京に行くことになったことが楽しかったから、ただ「東京へ行く」ということだけが大切で、それができればバスでも電車でも何でも良く、時間はかかるけれどお金があまりかからないバスを選んだ。そして、そうやって辿り着いた停留所の風景を見ているだけで、ぼくらは楽しかった。

 

 

二 聡志とじゅんちゃん

 

東京に行くきっかけを作ってくれた「聡志」と「じゅんちゃん」と出会ったのは、昨年の10月、岐阜で農園を営んでいる友人の結婚パーティでのことだった。といっても、お互い初対面でベラベラと話をするタイプではなくて、そのときは簡単な挨拶をした他に、手づくりの結婚パーティの準備や片付けをするときに近くにいれば少し話をしたくらいで、それっきり特別連絡をとりあっていたわけでもなかった。

数ヶ月後の2015年1月1日、突然聡志とじゅんちゃんから一通のメールが届いた。文面はよく覚えていないけれど「2月に1週間ほど大阪に行こうと思っているので、一緒に人の集まる企画を開いたりしませんか。」というようなことが書いてあったと思う。

たった一回しか会ったことのないわりには随分思いきった提案だな、と頭では思ったし、返信をするのに少し時間はかかったけれど、今から思えばメールを見た瞬間から二人を大阪に迎え入れることは決めていたような気もする。なぜなのかは今でも分からない。聡志と僕は、「聞く」ことや「世の中を取り巻くお金」など、興味を持つものが似ていたし、じゅんちゃんと4人、夫婦同士で仲良くできそうな雰囲気も感じてはいたけれど、冷静に考えればそれだけで見ず知らずの夫婦と一週間を過ごす説明にはならない気もする。

後付けで理由を考えればそれっぽい物語にはなりそうだけれど、たぶん言葉で説明することにはあまり意味が無くて、このとき二人からの提案が無ければ東京へは行っていないこと、その提案を受けなくても東京へは行っていないこと、その事実がただぼくらの前に横たわっている。

もちろん、そのときのぼくらにはそんなことは分かるはずもなくて、今言えるのは、理由や事実の方がぼくらの後を追いかけて来ている気がする、ということ。

 

 

三 東京

 

とにかくこの2月に、ぼくたち夫婦は聡志とじゅんちゃんを、我が家を宿泊先として大阪に迎え入れ、一週間ほどの共同生活をしながらいくつかの企画を一緒に開いた。

人を集めて企画を開いたり、その日近くで行われている催しに参加したりしながら、毎晩のように語った。気がつくと二人が帰るころには、今度はぼくたちが東京に行く話で盛り上がっていた。

バスを待ちながら、そんな不思議なきっかけの延長線上に目の前の光景があるのだと思うとそれだけで愉快だった。となりにいる相棒のなっちゃんとそんなことを話しながらバスに乗り込む。

バスの車内は想像していたより乗り心地がよく「すぐにトイレに行きたくならないように」と、何時間か前に飲んだビールの酔いがいい感じに回って、ぐっすりと寝れた。

東京駅の近くの降車場近くになってバスの車内が明るくなる。バスのカーテンを開けると奇麗に整った街並が目に飛び込んできて、ひと目でここが東京だと分かった。同じようなビルと道路で作られた街なのにそこが大阪ではなく東京だと分かったのは、東京行きのバスに乗ったのを知っているだけでは無い気がしてしばらく窓の外を見つめていた。

「大阪ならあの辺りには自転車が何台か留まっているよね。」とか「梅田や本町のオフィス街の中心でも、こんなに居酒屋の看板がないところはないかもね。」、なっちゃんと話しながら、ぼくが感じていた「東京らしさ」は大阪には「ある」けれど、東京には「ない」ものから感じている気がした。

 

 

四 わーさんとかよちゃん

 

東京駅から、双子の子どもを育てながら暮らしている「わーさん」と「かよちゃん」の家に向かう。慣れない東京の街を移動すること2時間ほど、子ども二人と大人二人、見知った顔に出会えてほっとする。

わーさんこと和田さん一家とは、周りが山で囲まれた岐阜の友人の家でしか会ったことがなかったから、住宅地とはいえ街の中で一緒にいるのが新鮮だった。最近の近況、料理のこと、子どもたちとのおしゃべり、これからのこと、特に何をするというわけではないけれど、普段の暮らしの中にお邪魔して時間を一緒に過ごす。

子どもが破った障子とか、二人の子どもに最大限のスペースを与えて一番身体が大きいわーさんの机が家の片隅にちょこんと置いてある様子とか、そこにあるモノたちがここで四人が生きていることを語っていた。

手づくりの昼食をふるまってもらった後、いつも子どもたちと散歩に行っているという森に出かける。森の中には丸太で作られたベンチがあって、ぼくが「東京らしさ」を感じた東京とは全く違う空間が広がっていた。

しばらくして、双子の兄弟が木の棒をとりあってケンカを始める。一人が力ずくで奪い、もう一方は泣きじゃくっている。ぼくたち以外には誰もいない森の中で泣き声が響き渡る。

四人の大人は注意するでもなく、慰めるでもなく、その場に一緒にいた。後で聞いたら、それぞれにどうしようか揺れていたらしいので「見守っていた」といえるような立派な態度なんかじゃないのだけれど、そういう揺れも含めて六人の人が一緒にいれた時間が、まだ目に耳に焼き付いている。

 

 

五 テレビを「持たない」人のダイアログサークル

 

夕方、聡志とじゅんちゃんと合流するためにわーさんの家を後にする。会場に着くと聡志もじゅんちゃんもまだ来ていない。夕暮れ時、気温が丁度良くて、風が心地よく通り過ぎていく。そのまま、会場に来る途中に買ったお弁当を外で食べながら待つ。

しばらくして聡志が自転車に乗ってやってくる。前回、大阪の家に泊まりにきていた聡志が、今は自転車に乗っているのをみて、東京に来たのだな、という実感が湧いてくる。開始する時間が迫っていたし、まだキャリーケースを引きずっているぼくにとって、何もかもが初めてな中での緊張感もあって、そのときその感覚を言葉にする余裕はなかったのだけれど。


「久しぶり」「今日は何人くらい集まってる?」、聡志と話しながら会場の準備をする。この日の集まりの名前は『テレビを「持たない」人のダイアログサークル』。2月に大阪で聡志と一緒に開いた催しの東京版。テレビを持っていない人が参加条件というだけで、あとは集まった人で自由に話をする。

「いよいよ今日から始まると思うと楽しみで・・」会の最初にそんなことを思いつくままに話した気がするけれど、ほとんど覚えていない。話は、予想通りぼくらが想像もしていなかった展開をたどる。テレビの話はもちろんしたけれど、丁寧に生きることとサーフィンで波に乗る感覚が似ていることとか、新幹線の掲示板に流れる文字からも影響を受けていたことに気づいた話とか、影響は自分から受けにいっているんじゃないか、ということを話した。

会の終わり、聡志がどうしても自分が見過ごせないことがあって、頭では影響を受けに行っている自分がいるのは分かるけれど、単純にだからどうでもいいことだと思えなくて、、という話を始めた。

「それは自分にとって大事なもの何じゃないか」「いや、それは執着なんじゃないか」集まった人がそれぞれに話をする。さとしはぐらぐらと揺れていた。その揺れは、目の前にいる人たちと一緒にいるために、自分の感覚とその場にいる人の語った景色を、必死に往復しているように見えた。

ぼくはそんな聡志のことを見て、頼もしく思っていた。確か会の終わりにそんなことを話した気がするけれど、やっぱりほとんど覚えていない。そして、初日の夜の催しは終わった。

帰り道、参加してくれた人たちと話が弾んで、一緒にご飯を食べにいく。ビルの二階にあるイタリアンレストラン。丁度外にある席が空いていて、店員さんが「外になってしまうんですが」と言ってそこに通してくれる。目の前には葉っぱが茂っている桜の木があって、気持ちのいい風が吹く中で、ご飯を食べる。

気がつくと「そろそろ閉店なのでご協力を・・・」、申し訳なさそうに店員さんが伝えにくる。それでも話の勢いは衰えず、出るタイミングを失っていたら、店員さんが二回目の「ご協力を・・・」を言いに来た。ぼくらは慌てて店を出た。

 

 

六 夜の帰り道

 

夜の11時過ぎ。食事を一緒にしたメンバーを駅で見送る。そこから聡志の家まで、「タクシーでも呼ぼうか」と言っていたけれど、急ぐ理由もないしまだまだ話が尽きなさそうだったので、歩いていくことにした。

「大阪なら、家の植木とか自転車とか、いろんなものがはみ出してるけど、東京はきっちり敷地の中に収まってるね。」住宅街を通りながら聡志に話しかける。

聡志とじゅんちゃんが歩きながら、「このあたりは〜〜で」とぼくたちに街の紹介をしてくれる。

聡志が案内してくれたのは、グリーンロードという道を通るルートで、その名のとおり、たくさんの草木があるその道は、その時間には人も車もほとんど通らなくなっていて、ぼくらは道路いっぱいに広がって話をしながら帰った。

東京にいる間、何度も通ることになるこの道は、今では、ぼくにとっての東京の夜のイメージそのものになっていて、その貴重な一回をタクシーに乗ってしまわなくて、本当に良かったと思う。

 

 

七 聡志とじゅんちゃんの家の朝

 

東京二日目の朝。他の三人はまだ寝ている。昨日は、家についてからも話が尽きずに遅くまで話し込んでいた。

二人の家はマンションの3階なのだけど、ベランダに植物がぎっしりと詰まっていて、部屋の中から見ると外に庭があるみたいだった。バジルが丁度葉っぱをつけていて、しばらくしてみんなが起きたら、朝食でトマトと一緒に出してくれた。おいしかった。

漠然と僕がイメージする”一般的な”同年代の夫婦の家に比べると、この家にある物はとっても少ないと思う。特別意識して物を減らしているわけではないだろうけれど、二人の暮らしに必要なものだけが、家の中にある気がして、そうやってできているスペースも含めてぼくらは二人の家でゆっくりと休ませてもらっていた。

見渡すと、電子ピアノが置いてあったり、大きなキャリーケースがあったり、場所はとるけれど”二人の暮らし”に必要であろうモノが何気なくあって、その存在も居心地の良さにつながっていた気がする。

 

 

八 夫婦サミット

 

その日は土曜日で、「夫婦サミット」という名前の催しをお昼から半日開くことになっていた。実は、ぼくたち4人全員で開く企画は、全部で6つある企画のうちこの1つだけで、他の企画は聡志とぼくが企画したもの。


ところが案内が出来上がるのがもっとも遅かったのがこの企画だった。それは、やる気がなかったとか、やりたくなくなったという理由からではなくて、今から思えば、あまりにぼくたちがやりたいことの中心すぎて、言葉に表すことが難しかったからなのだと思う。


案内ができるきっかけをくれたのは、企画のタイトルだけを見て申込をしてくれた聡志の友人だった。内容も説明もまったくないのに参加したいという問い合わせが先に来て、それを追いかけるように聡志が一気に案内を書き上げた。

それがその日から3、4日前のことで、結局、当日までに聡志の友人の他にも参加を申し込んでくれた人があらわれ、ぼくらは参加者に引っ張られるようにその会を開くことになった。

お昼前になって、昨日の夜帰った道を今度は逆に辿ってその日の会場に移動する。太陽に照らされて、鮮やかに目に映る家と車と緑、聡志とじゅんちゃんの暮らす街の姿が少しずつぼくの中で景色として刻まれていく。

昨日の夜から会場にたどり着くまでの間、ぼくらは何度かその日にやることを話しあっていた。そして、集まった人とパートナーシップについて話す時間を作ることと、影舞をする時間を作ろうということだけが決まっていた。

影舞は、二人一組で指先をそっと触れ合わせて、どちらともなく生じる動きを丁寧になぞっていく即興の舞。舞い手には何かを演じたり、魅せようという意識はまったくないのだけれど、見る人が何故かそれぞれに自分の心の中の風景を重ねて、舞いの中にストーリーを見たり、過去の出来事を見たりする、それぞれの影が映し出される舞。

影舞もそうだけれど、東京で開く企画に目的やプログラム・効果などを設定していないのは、ぼくたち4人が共通して影響を受けている橋本久仁彦さんの存在が大きいのだけれど、今はその話をするのは置いておいて、二日目の土曜日の時間を進めていく。

 

 

九 影舞

 

会場となる施設に着いて部屋に入る。つるっとした床の上に、茶色い天板の折りたたみ式の長机、その机に三つずつパイプイスが入って、学校の教室のように机とイスが整列していた。

四人で机とイスを動かして、ぼくたちと参加してくれる人が円くなって座れるようにイスを並べる。お茶を用意していると、申込をしてくれた人たちがポツポツと会場に到着する。

静かにその日の集いが始まる。当然のように人が集まって一緒に座っているけれど、この企画が成立するにはいくつかの不思議な経緯がなければならないはずで、でも、そんな不思議さとは全く関係なく当たり前のように一緒に集まり、今まさに始まろうとしているこの瞬間がとても好きだった。

前半の対話の時間が終わり、影舞の時間がスタートする。

話を聞くだけでは見えてこなかったその人の存在感や、大げさに言えばパートナーとの在り方が見えてくる。話を聞いている時にはパートナーに気を使っている優しそうな男性に見えていた参加者の一人は、影舞が始まると女性を誠心誠意支える紳士に見えた。

 

 

十 メキシコ料理店

 

終わりがけ、参加してくれた一人が「みんなでご飯に行きませんか」と誘ってくれる。

普段からそんなことを言うようには見えないし、ノリや勢いだけで提案しているように見えなくてなんだかうれしくなる。駅まで行く途中、聡志とじゅんちゃんがよく行っているというメキシコ料理屋さんへ行く。話は全く尽きなくて、こうしているとここが東京なのか大阪に皆が来ているのか分からなくなる。

会計のとき、トイレに置かれていたビールの割引券をダメもとで出してみると、40年ここで店をやっているという店主がイラだった口調で「これトイレからとってきたでしょ。分かりますよ。普通使えないの分かりませんか?」と返される。

苛立っているのが分かるくらいビリッとした空気で応答されたことにビックリして、ぼくはなんと言えばいいのか困っていた。その様子を見て「傷つけちゃってすいません。でも、こっちも商売なんで。」と店主が付け足す。ぼくは苦笑いをしながら一気にモヤモヤした気持ちで一杯になっていた。

帰り道を歩き始めてもモヤモヤはまだ残っていて、「大阪だったら『お客さーん。これ流石に当日は使えないんですよ。また来てください。』とか『ごめんなさいねー。もう一枚渡しとくから、またぜったい来てね。』って返すよね。」となっちゃんと話して吐き出してみる。

大阪と東京の違いと言える程のことではないかもしれないけれど、軽い気持ちで出した割引券に予想もしていない強さで反応された痛みが残っていたから、大袈裟にでも言いはなってモヤモヤを吹き飛ばしたくなっていた。

帰り道、昨日と同じように敷地の中にきっちりとモノが収まっている街の景色が境界線のゆるい大阪との違いを際立たせて、ここが東京なんだということを実感する。この中に一件だけ外に鉢植えや自転車を出している家があったら、そりゃ常識はずれだと言われるんだろうなとメキシコ料理のお店で起こったこととと街並が重なる。

そんなことを話しながら、ぼくたちは暗いなか静かにたたずむ草木を横目に、今日も道一杯に広がって歩いて聡志とじゅんちゃんの家へ帰った。

 

 

十一 たぬき村

 

東京三日目の朝。

今日は朝早くから家を出る。といっても8時台なので、特別早いわけじゃなかったけど、昨日は朝がゆっくりだったのでちょっと急いでその日の会場に向かうバスの停留所に向かう。

今日は「きぬた」という土地の「たぬき村」というところが会場らしい。大阪にいる頃から会場の名前は聞いていて「何でたぬきなんだろう」と思っていたら、バスを降りてから地名を聞いて「なるほどな」と勝手に納得した。しゃべるほどのことでもない気がして、特に話題にはださなかったのだけれど。

会場は古びた団地風の建物の中にある一室。昔は何棟もあったのかは分からないけれど、今は一棟だけがあって住人もすんでいるらしい。その中の一室を住人用のコミュニティスペースにしているらしく、聡志はその部屋のオーナーと知り合いで、今日みたいな日には貸してくれるんだとか。

きっちりと敷地や区画で整理された東京の街の中で、その団地の中は草が生い茂って道に重なっていたり、境界線が少しゆるんだ空気が漂っていて、個人的にはとっても落ち着いた。

階段を昇ろうとすると、ヨボヨボで歩くのも一苦労、といった風な年寄り猫が「ニャァ」と一言挨拶をする。ぼくは真後ろから聞こえた音にビックリして「うわぁ!」と大声を出してしまったけど、その声に驚いたのはむしろその年老いた猫の方で、申し訳ないことをした気持ちになって階段を上がった。

部屋に入ると、古びた外装と違って、白塗りの壁と物が少なくてさっぱりとした空間、でも人が集まって何かをするには必要な座布団やコップなどは十分に用意されていて、ここが人がゆっくりとしていい場所だということが空間のすべてから伝わってくる。

窓を開けると、遠くの方まで見渡せる景色から風が入ってきたり、周りにある大きめの木が目に映ったり、天気のいいその日の眺めは絵に描いたようにさわやかで、ものの数分でそこを気に入ってしまった。

飲み物を用意したり会場のセッティングをして参加者を待つ。今日は「東京 東西円坐」を開くことになっている。

 

 

十二 円坐と橋本久仁彦さん

 

円坐というのは、二日目の影舞と同じく、ぼくたち4人が共通して影響を受けている橋本久仁彦さんが名付けて実践しているもの。

そういえば、ぼくたち4人がこうして集まっていることの、間違いないきっかけとして橋本さんの存在がある。多分橋本さんがいなければ、ぼくらは出会っていないだろう。

でも、「橋本さんのおかげで出会ったのか」と聞かれると、はっきりそうだとは答えれない気がする。出会ったのはぼくたち4人で、橋本さんによって促されたわけでも引き合わされたわけでもない。

聡志とじゅんちゃんがぼくたちにメールをしなければ東京に来ていないのと同じように、橋本さんがいなければぼくたちは出会っていないという事実だけがそこにあって、それはそれ以上のものでも以下のものでもない。だからこそ、橋本さんの存在はぼくらにとってとてつもなく大きいのだけれど、それは同時にぼくたちの存在の大きさの確かさでもある。

これを書きながら、この物語の最初にどうして橋本さんのことを書かなかったのだろうと、不思議に思う気持ちも起こったのだけれど、やっぱりこれはぼくたち4人の物語だから、あのとき最初に橋本さんのことを書くことはできなかったのだと思う。

 

 

十三 東京 東西円坐

 

時間が近づいて、その日の参加者が集まってくる。そのままゆっくりと円坐が始まる。

始まると言っても円坐には目的もプログラムも無く、その名のとおり円くなって坐るというだけの集まりだから、聡志と僕から一言ずつ挨拶をして、しばらくは沈黙したままの時間が流れていた。

その日は空が真っ青な快晴で、カラッとした風が絶え間なく部屋を通り抜けていた。どこかのドアがギイギイと音を立てて鳴っている。

日曜日のお昼前、東京、ぼくの座っているところからは、少し遠くのマンションの屋上に干してある洗濯物がゆらゆらと風に揺れていた。


心地よい時間にウトウトしている人が出始めたころ、ふいに一人が「船に乗ってるみたいですね」とつぶやく。それを聞いて、ギイギイという音が船のきしむ音に聞こえるとか、冷蔵庫がヴーーっと動いている音は船のモーター音のようだとか、そんなことをひとしきり話した後、またしばらくは一緒の船に乗りながら静かな午前の終わりの時間が流れていく。

名古屋から来た参加者が、東京の早いスピードと、この場所で流れるゆっくりした時間の違いのことを口にする。ぼくは東京に来てから感じた東京らしさについて話し出す。

ぼくたちが感じる東京らしさは、お化けのように誰もいないのに感じる何かなんじゃないか、そんな話をしながら午前が通り過ぎていく。

 

 

十四 東京 東西円坐 午後

 

お昼を食べて午後、あいかわらず部屋の窓の外には真っ青な空が広がっていた。

そこからどんな話をしたのか、言葉や景色や記憶としては鮮明に残っている。けれど、それ以上のことを、今ぼくが語ることはできる気がしなくなって、何日か筆を置いて立ち止まっていた。

その時見えたこと、人と話したこと、その中で見えた景色、途中震えるような怖さを感じながら自分の言葉をその場に置いてみたり、ぼくの人生にとって大きな意味を持つ時間が流れていたのは間違いが無いのだけれど、その時間を言葉で切り出してしまった途端、あの時間と空間の中で生き生きとしていた感覚が、全く違うものになってしまいそうで、そしてその全く違うものがそこで起こったことになっていくのが嫌で、書くことができずにいる。

タイトルをつけた「円坐的」な催しであれば、なんとかそのタイトルに沿って書くことができた。けれど、なんのタイトルも無い、ただ集まった人と円になって座るだけの円坐では、集まった人そのもの、そしてその空間と時間全てに意味があって、何かに沿うということができない。

その場を開いた聡志とぼくがしたことと言えば、最初に時間を宣言して最後に終わりを告げる、ただそれだけで、大層なことをしてやろうなどとは思ってもいなかったのだけれど、やっぱり円坐が大層なことなのだと思い知らされた。今。

円坐が終わって、名古屋から来た参加者の人とぼくたち4人で会場のキッチンを借りて夕食を作る。夕食を食べながら「今度名古屋でやりましょう」という声をかけてもらって、日程や会場や呼びかけたら来てくれそうな人の話をする。

終電近くまで飲み食いをして会場の部屋を出て、階段を降りていくと、来た時に出迎えてくれた年寄り猫はもういなかった。

 

 

十五 四日目の朝

 

4日目、いつものようにぼくが最初に起きて、ほかの人が起きてくる。いつも出してくれる家のパン焼き機で作ったパンとヨーグルトを食べて出発する準備をする。

今日の昼は「聡志のかあちゃんの料理を食べる会」がある。

都心から郊外へ一時間ほど、電車を乗り継いで移動する。人が多いのと、ヘタに立ち止まると後ろを歩く人がぶつかってきそうで、聡志とじゅんちゃんの後をとにかくついていっただけなので、どの線をどうやって乗ったのか覚えていない。

電車の車窓から見える景色が、少しずつ変わっていく。背の高い建物でびっしりと埋まっていた風景は、少しずつ空き地が見えるようになったりしながらゆるやかになっていく。

東京に来て感じていた「土地の中にきっちりおさまっている感じ」は、もしかしたら過密に集中した土地の中で、摩擦を少しでも減らすための工夫だったんじゃないだろうかという考えが、車窓から見える景色を思い返しながら浮かんできた。

聡志の実家の最寄り駅は、大阪にもありそうな郊外の駅で着いた瞬間に居心地が良かった。もともと大阪出身でもないくせに、大阪暮らしも10年以上経つと、他所の土地に来たら大阪を思いだすようになるらしい。

家に着くと、聡志のお母さんはご飯を作っていた。

 

 

十六 四日目から六日目

 

ところで、これを書いているのは2015年6月23日。東京に行ってから1ヶ月半が経った。最初は記憶が新しいうちに書かなくては、と思っていたけれど、東京で会った人、見たもの、起こったことは、しっかりとぼくの中に刻まれていて、1週間経っても、2週間経っても真新しくぼくの中に残りつづけた。

ところが最近は、新しさが無くなって来てしまった。もちろん、風景やセリフなど刻まれた物はぼくの中に残っているのだけれど、大阪に戻ってからの日々も東京と同じように新鮮な出来事の連続で、その中に刻まれた跡が埋もれてしまった。もう以前ほど、目の前にその景色が映っているようには東京の風景は見えず、4日目あたりからは埋もれた刻みの跡を掘りだしながら書いていた。

掘りだした刻みは一部しか見えず、文章にするために掘り返していくのだけれど、どこまで掘っても今になっては刻みの全てを視界に入れることはできないみたいだった。

頭では、これからがほんとうに面白くなるところだと分かっていて、昨日の続きには、聡志の母ちゃんにご飯のお礼に影舞を披露して、亡くなったお兄さんの話を聞かせてもらうシーンが続いていく。これはぜひとも細かく書いてみたいことだった。

翌日からの3連続の「お金シリーズ」も面白かった。ゼミでは、聡志の友人とぼくが力を込めて切り結んだ瞬間があった。はっきりと、くっきりと存在するその友人の姿に応える形で、ぼく自身も輪郭を示し、そのことによってその友人と接触した刻みはぼくの中に残りつづけている。

聡志がぼくをゲストに迎えてくれた「お金のダイアログサークル」では、生まれて初めて1時間近く自分のことを話し続けた。聡志が本当に丁寧に、自分とぼくをみながら聞いてくれるおかげで、思ってもいないような話が自分から次々と飛び出してきて、夢中になって話しつづけていた。

最終日、「お金の円坐」では、話す人を決めるのに1時間半も揉めた。前日が順風満帆だっただけに完全に油断していたのだけれど、二人いた話をしたい人のどちらにするのか、二人の言い分を聞いて決めるプロセスをたどっていくのは命がけだった。

そして、どの日も、集まった人たちと終電近くまで飲み食いしながら話をしていた。

 

 

十七(最終回) 東京の夜

 

そうそう、最終日に聡志とじゅんちゃんの家について、話もさめやらない中でお互いにおくりあった影舞の時間は本当にきれいだった。
そういえば、これが書きたくて書きはじめた気がする。


きっかけは夫婦サミットが終わった後に、ぼくが「最終日にお互いに影舞を送りあわないか?」と提案したことだった。全員一致で「やろう」ということになり、最終日までに送りたい曲を選んでおくことになっていた。

東京に来てから、毎日・毎晩開いてきた催しの最後の一つが終わったばかり。その日やった「お金の円坐」は、誰も予想しなかったような波乱の幕開けで、ぼくは全力を尽くしてその時間を過ごした、今も心の底から怖いことへ立ち向かったヒリヒリとした感覚や、もうだめかもしれない、という中でそれでも自分の感覚をブラさずに居続けた感覚が身体に生々しく残っている。

ついさっきまで、そんな場を一緒に過ごしたたち人と、東京に来てから何度も行ったイタリア料理のチェーン店で心なしかいつもより賑やかに飲み食いをして、晴れ晴れとした気持ちで参加者が駅の改札の中に入っていくのを見送っていた。いつも通っていた緑の多くて道が広い帰り道は、興奮覚めやらずに夢中で話をしながら歩いてきたからどんな景色だったのか覚えていない。

帰り道のコンビニで珍しく追加の飲み物を買って、この頃には中に入るとほっとするようになってきていた聡志とじゅんちゃんの家に辿りつく。最後の一日が終わったことの慰労とお祝い。それぞれの胸の中に残っていること。そもそもここに至るまでの不思議な過程のこと。とめどなく話が湧いてくる。間違いなく今、ここにいることを、その場にいる4人全員が満足していた。満足しきっていた。このままいつまでも話していられそうだった。

夜は更けていく。終わりの時間が近づいていた。誰かが「影舞をしよう」と声をだす。心待ちにしていた時間ではある。どんなものが見えるのか、どんな景色が広がるのか、早く見てみたい気持ちもある。けれど、それは、本当にこの4人の時間が終わるということでもあった。

4人で、少しモノを片付けて舞台を作る。いつも集まっていた和室の部屋に、イスの積み木を4つ並べて置いて場所を仕切っただけの簡単な舞台。

準備が整って、最初にぼくたちから影舞をする。両端から舞台に入っていき、聡志とじゅんちゃんが見ている方を向いて正座をする。

二人で息を合わせてゆっくりとお辞儀をする。開放感から少し飲み過ぎたせいで、酔いがかなり回っているのを感じながら頭をゆっくりとあげる。

今度は二人で向き合ってお辞儀をする。

お互いの片膝を立てて手を差し出す。ゆっくりと手が近づいていく、触れるか触れないかのところで緊張感が高まっていくのを感じる。


手が触れて、影舞が始まる。



音が鳴り止んで、再び二人にお辞儀をする。二人はどんな心境で見ていたのだろう。


聡志とじゅんちゃんの番になって、聡志が即興で弾いた曲を流そうと思っている、と二人が言う。昨日の昼間に少し時間があったので、弾いた曲を録音していたらしい。そして、影舞が始まる。


外には東京を象徴するようなビルが遠くにいくつか並んでいるのが見える。ベランダの植物たちが風に揺れている。近くに敷き詰められるように立ち並んでいる戸建ての家は寝静まって静かに佇んでいた。その上に月が淡い光を放ちながら浮かんでいる。

東京に来るバスのこと。この6日間の日々。聡志とじゅんちゃんが大阪に来たときのこと。ぼくたちが出会った岐阜のこと。そして、今東京のこの場所で見えるもの全て、全てのことが今この瞬間に一つになってぼくらを取り巻いていて、その景色があまりにきれいで、ぼくは、ずっとこの時間が続けばいいのに、と思っていた。

曲が終わる。

そしてぼくたちの東京の日々も終わりを迎えた。

 

 

 

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